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記録用

若者が抱く寂しさ


今日、中学の頃からの友達から聞いてほしいことがあると連絡がありました。


内容は恋愛相談だったのですが、


好きな人とうまくいかなくて、好きではないけど告白された人と付き合った、


合コンに行きまくってその場だけの関係も持ったりした。と


聞いていて悲しくなるような内容でした。


そんな感じの子ではなかったのですが、


世の中のフリーセックスの文化に染まってしまって、


寂しさを埋めるために誰かと遊んだり、


付き合ったりする友達の様子に胸が痛くなりました。


私は「寂しさを埋めるために誰かと付き合っても虚しくなるだけだと思うよ。」


と返したのですが、じゃあどうすればいいんだとその子に言われて、


教会の話などしたことがなかったのでうまく言ってあげられませんでした。


何かアドバイスが欲しいというよりも、ただ話を聞いて欲しい感じもあったのですが、


自分磨きなど当たり前の言葉しか思いつきませんでした。


そして私の価値観から何かを話しても響いてないのがわかるので


それ以上何も言えませんでした。


結婚願望もなく、ただ今を楽しく過ごしたいだけ。


人生の核になる神様や絶対性の内容を知らずには


世の中の文化に流され染まってしまう恐ろしさを感じました。


私も学生の頃一人暮らしをしていて、家族も側にいないので寂しいことがありました。


だからといって恋愛をしようとはなりませんでしたが、なんとなく友達と遊んだり、


一緒にいたりしていて、そうすればするほど寂しさは増していったのを覚えています。


それから自分の内面と向き合ったり、神様に祈ることを通して


一人で過ごすことが寂しくなくなり、充実感を感じるようになりました。


この友達以外にも人生の中で寂しさを感じている若者は多いです。


他にも寂しさから恋愛走る友達もいました。


世の中の人間関係で生きていると体だけの関係が目的で女性に近づく男性と、


寂しさを埋めてほしくて男性を求める女性は似た者同士だと感じます・・


私もこういう話を聞いて悲しくなるだけでなく、正しい内容を伝えれる知識や強さを持たないとなと感じています・・


若い時に人生の柱、核となる神様を知り関係を築くことがどれだけ大切か考えさせられた出来事でした。

神さまのストーリー

最近仕事のことやこれからのこと、現実的な問題にぶつかって考えることが増えました。


王さまのみ言も自分の生活の中でなかなか実践できていなくて、焦りやもどかしさも感じます。


先のことを考えすぎて心配しても仕方ないと思っても、どうしても不安になってしまうことがあります。



そんな時に先日あった水曜礼拝の内容が胸に刺さりました。


「ストーリーが重要。私のストーリーは何か。実は私達のストーリーはそれほど重要ではない。過ぎていくだけの人間だ。しかし、私達のストーリーが神様と連結されたら、これは重要な価値のあるストーリーになる。どうして?神さまのストーリーに同参するようになるから。」


これを聞いて、私は何だか自分のストーリーをどうするかばかり考えていたなと思いました。


自分の人生の主人公は自分!のような考えが強かったなと気づかされました。


そして今日聖書リマをしたら、


「主よ、わたしは知っています、人の道は自身によるのではなく、歩む人が、その歩みを自分で決めることのできないことを。 エレミヤ書10:13」



このような内容で、また考えさせられました。



祈ってもすぐ答えが分かる訳ではないし、現実が一瞬で変わるわけでもないけれど、神さまはいつも祈りを聞いてくださっていて、必ず道を準備してくださっていることを信じていきたいです。


み言を読んでも、祈ってもよくわからない時もありますが、正直に祈ることを続けていきたいなと思います。

聖句のちから

「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。


そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。 」


ピリピ人への手紙 / 4章 6~7節


この聖句は、どんな小さな心配や悩みも神さまに祈る事を教えてくれました。



悩みや疑問があった時、今まではモヤモヤしたままだったり、虚しい気分になることが多かったのですが、親に愚痴るように、頼るようにお祈りをするようになって、心が落ち着くようになりました。


そして日常の中で神さまは私の祈りを聞いてくださっているんだ!という実感が増えて嬉しいです。


祈りとみ言は私を正しい方向性に導いてくれることを感じています。


まだあまり聖句も多く知らないのですが、先日母が好きだと言っていた聖句がとても良かったです。



「たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。

 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」


コリント人への手紙 第13章1〜7節


いくら年月が流れても神さまのみ言だけは変わらない、ヨナ王妃さまが仰っていたのを思い出しました。